日本美術と仲良くなりたい… 

日本美術にお近づきになれるのかどうかの記録です。

【実習】宮内庁三の丸尚蔵館へ行く! 展示品が少ないのがよい…!

日本美術の魅力がわかるようになるためには、家で本を読むだけじゃなく(まだ1冊しか読んでいないけれど…)、やっぱり本物に触れて、感じなくちゃ…! 
というわけで、どこかよいところがないかと検索。すぐに「初心者にオススメしたい、日本美術が楽しめる美術館・博物館10選」という、どんぴしゃな、ありがたい記事が見つかりました。

intojapanwaraku.com

よし。ぴぴっときた宮内庁三の丸尚蔵館に行こう! 
記事によると、ここの収蔵品は国宝や重要文化財の指定がなくても国宝級だそう。

さすが、宮内庁直轄美術館…!

 不勉強にして、わたしは三の丸尚蔵館の名前も知りませんでしたが、元寇のときの竹崎季長の活躍を描いた有名な「蒙古襲来絵詞」や、狩野永徳の「唐獅子図屏風」もこちらの所蔵です。最近、とみに人気の伊藤若冲の「動植綵絵」もあります。

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筆者不詳「蒙古襲来絵詞」 宮内庁三の丸尚蔵館 画像はWikipediaより拝借

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狩野永徳「唐獅子図屏風」宮内庁三の丸尚蔵館 画像はWikipediaより拝借

おお、知ってる、知ってる(本で見たことがあるだけだけど)。これは見てみたい。

動機が安直…。

でも、有名な絵には、それだけの力があるのかも?
一瞬にして日本美術の良さがわかるかも。そうしたらしめたもの!

 思い立ったが吉日。
やってきました。宮内庁三の丸尚蔵館。秋晴れの気持ちのいい昼下がりです。

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 ご時世によるものか、美術館の性格によるものか、展示物によるものか、行列はありませんでした。

コロナ感染拡大予防のために、検温をして入場。
と、書いておくと、のちのち「ああ、あのころは大変だったな」と思えるかも。

早く、そうなってほしい…!

おや?「名作を伝える ― 明治天皇と美術」??

下調べをしていなかったので全くわかっていませんでしたが、尚蔵館は常設展のようなものはなく、常に企画展形式の展示のようです。わたしが訪れたときの展示は、「第87回展覧会 名作を伝える ― 明治天皇と美術」*1というもの。「明治天皇と~」というタイトルからして「蒙古襲来絵詞」も「唐獅子図屏風」も伊藤若冲もないとわかりました…。まあ、これらの有名な絵が展示されていたら、入口に行列がないわけありませんね。 では、いざ…!

~ 鑑賞time ~ 

「名作を伝える―明治天皇と美術」後期出品作品16点

~ 退出 ~

さて、感想は?

……。楽しく鑑賞できたよ。ときめくとかは、まったくなかったけれど…。
点数が少なかったのがよかったね。

 点数が少なかったのがよかった…! 
遠足の小学生からも出てこなそうな感想ですが、正直な気持ちです。

 

 以下、(光の速度で忘れてしまうので)感想にもならない覚書4点!

1 展示点数が少ないのはいい!

小さな展示室をぐるりと一周すると終了です。あれもこれも見なくちゃというプレッシャーがなく、ゆったりとした気持ちで見ることができます。年齢を経て衰えてきた集中力も切れずに、最後まで作品に関心をもったまま鑑賞できます。
気になったものがあれば、再度見に行けばいいのですが、そこまで約10歩で済みます。大きな美術館の大型の企画展などでは、これをしようとすると、山越え、谷越え、大きな部屋をいくつも遡っていかなければなりません。また、作品にさほど興味がない場合は勿論のこと、興味がある場合はなおさら、点数が多すぎるのは、「すべて見なくては!(もったいない)」という気持ちと、「じっくり見なくては!(もったいない)」という気持ちがぶつかって、案外、消化不良につながる気がします。
展示点数が少ないというのは、思いのほか美点である気がします。

2 作品タイトルが呪文!

以下、展示されていた作品と制作者です。

水晶玉蟠龍置物 精工社
稲穂に群雀図花瓶 濤川惣助,泉梅一
行書七言絶句「金闕暁開晴日紅」日下部鳴鶴
草書七言絶句「王家楷則定何如」日下部鳴鶴
塩瀬友禅に刺繍海棠に孔雀図掛幅 西村總左衛門(12代)
塩瀬友禅に刺繍薔薇に孔雀図掛幅 西村總左衛門(12代)
磐梯山破裂之図 山本芳翠
琉球東城旧跡之眺望 山本芳翠
熊坂長範 森川杜園
還城楽 森川杜園
矮鶏置物 高村光雲
百布袋之図 河鍋暁雲
明治十二年明治天皇御下命人物写真帖
『皇族 大臣 参議』〈Ⅰ類A-1〉大蔵省印刷局
明治十二年明治天皇御下命人物写真帖
『皇族』『諸官省』〈Ⅱ類-1〉大蔵省印刷局
岩倉公画傳草稿絵巻 第14・17巻 田中有美 後期
三條実美公事蹟絵巻 第24巻 田中有美

眺めていると催眠術にかかってきます…。
こういう些細なことも、日本美術を難しく感じてしまう原因の1つではないかと思います。日本美術の作品だけでなく、歴史的な文物の展示すべていえることですが、せめて作品ラベルにはふりがなをふってほしい…。読めると読めないのでは、親しみの感じやすさが大違いです。「七言絶句」などの書は、その内容(意味)も教えてほしいです…。「自然の雄大さをうたった詩で、天皇の御代をことほいでいます」(←注!適当です)とか、ごく簡単でもいいのです。そうすれば、「ああ、そういう願いをこめているのね」とか、「ああ、ヨイショしているのね」とか、何かを感じることができます。情報がないと、書は(素晴らしい筆跡を感じられるなら別ですが)、もはや抽象画と同様です。

3 写真アルバムがすてきでした!

出品リストの「明治十二年明治天皇御下命人物写真帖」に当たるもの。表紙は赤がね色でしたが、実物で見られたのは開いた中のページのみ。装丁は写真で確認できました。雰囲気のあるすてきな作りでした。でも、パンフや公式サイトに写真がなく、記憶だけが頼りなので、速攻、忘れてしまいそう…(ここに書いたから少しは覚えていられるか…)。

 4 見ごたえのあるメロン大の水晶!

「水晶玉蟠龍置物」で、龍が背にのせている水晶はプリンスメロンくらいの大きさがあって、なかなか見ごたえがありました。

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精工社「水晶玉蟠龍置物」画像は今回の展覧会のパンフレットより

家に帰ってから調べたところ、「蟠龍」の「蟠」とは、「うずくまる」とか「とぐろをまく」という意味で、グルリと巻いた姿の龍を「蟠龍(ばんりゅう)」と称するようです。「蟠」なんて、わからないよ…。いっそ、英語の「Crystal Ball and Dragon Made to Hold the Ball / 水晶のボールと、ボールを抱えるために作られたドラゴン」のほうがわかりやすいです…。
この水晶玉は、もともと山梨県の「金櫻(かなざくら)神社」の神宝で、1873年のウィーン万国博覧会に出品したものの、帰国時に船が伊豆半島沖で座礁してしまい、ほかの出品物ともども海に沈み、その後回収されて、明治天皇の希望により皇室に買い上げられたものだそう。
蟠龍と脚付きの台は、水晶に合わせてあとから制作されたものですが、台の細工は見事な職人技です。精工社とあるので、「もしや! これは時計のSEIKOでは…!」と、大発見をした気になったのですが、SEIKOの前身は1字違いの精工舎で、創立の年から考えても、無関係とわかりました。

 

「1」の展示点数の問題は、満足度の高い美術鑑賞のために、意外に重要なポイントであるような気がしています。しばし頭の片隅に入れて、折に触れて考えていこうと思います。

 

*1:会期 2020年10月10日~12月13日

【自習】岸田劉生の「麗子像」はコワいと思って正解だった!

子どもの頃は、おとなになれば自然に日本美術を理解できるようになるだと思っていました。「ふむふむ、これはムニャムニャ。あれはムニャムニャ」というように。でも、なりません!(断言) おじさんおばさんといわれる年になっても、多くの日本美術の作品の前で睡眠術にかかります。やはり、日本美術に親しむには、基礎的な知識を持つことが必要なのです。

 

というわけで、本を買ってみました。
読書とは、他人の頭の中身を手っ取り早く自分のものにできる技!
活用しない手はない!
記念すべき最初の本はこれ。じゃじゃーん。

 いわきりなおと著「 日本美術マンガ おしえて北斎!」

amazon解説より~

将来立派な絵師になる夢をもつ高校1年生、岡倉てんこりん。
しかし、彼女はサボってばかりのクズだった。
そんな彼女の前に、「あんたの夢をかなえにきたでー」と「風神雷神屏風図」の風神と雷神があらわれた!
てんこりんの夢をかなえるために、風神と雷神が呼び出したのは、尾形光琳高橋由一歌川国芳伊藤若冲……など、個性豊かな日本美術の大スターたち!
「才能イコール練習量やで! 」
「なんかいいを大事にしろ! 」
「何もできない時ほどアウトプットするんや」
……など、時空を超えた「夢をかなえるための秘訣」のレッスンで、少しずつ夢に向けて歩み出した、てんこりん。美術部のライバル狩野カノンたちとともに、デッサン甲子園に挑むが……。
笑って、泣けて、ほんのり日本美術も学べる、エンターテインメントコミック。 
〈文字色変更はワタシ〉

 

……。これ、日本美術の本じゃないんじゃ……。 

いやいや、「ほんのり日本美術も学べる」と書いてあります。
挫折しないように、まずは簡単そうなものをチョイス!
  

確かにそれ大切ポイント! 自分を大きく見積もらない。

年をとって、自分のことを大きく見積もらなくなりました。です。
寝る前の小一時間で読了!
結論として、85%は自己啓発15%が日本美術といったところです。

自己啓発、楽しいよね。アドレナリンが出て。
でも、ワタシはもう長年生きてきているので(こんなアイコンだけど)、
もうタラタラ生きていくのでいいよ。

自己啓発の部分は、amazonの試し読みで目次を見れば、ほぼ内容がわかります。
その筋の猛者なら、目次だけでもやる気が出せるかも(ホントか?)。
で、肝心の日本美術の部分ですが、意外や意外(作者に失礼)、読んでよかった…!

 

以下、個人的「読んでよかった」ポイントつ!

1.高橋由一のことが少しわかりました!

高橋由一の有名な「鮭」は重要文化財ですが、これまでなんでこんなに評価されているのか、さっぱりわかりませんでした(辛気臭いし、油絵としてそこまでうまいと思えないし、なぜ鮭…!?)。しかし、2章(Lesson2 キタコレ!日本一有名なサーモン)を読んで、「なるほど」と思いました。「重要文化財」のラベルは、絵・単体の評価ではなく、あれやこれやひっくるめての評価なのですね。

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高橋由一「鮭」重要文化財 東京芸術大学 画像はWikipediaより拝借

2.宮崎駿の後期作品が理解できなくなった理由に納得がいきました!

未来少年コナン」の時代から、宮崎駿の作品が大好きだったのですが、「千と千尋の神隠し」を最後にその後の作品が、わたしには理解できなくなってしまいました。好きだったからこそかなしい…。でも4章(Lesson4 「いい絵」ってどんな絵なの?)を読んで、今まで目を通したどんな解説よりも腑に落ちました。それが正解かどうかはわかりませんが、わたしは合点。
宮崎駿が自身の作品について話していることも、「いったい何言ってるの…??」と、わからなくなっていましたが、「なるほど…」と理解できました。
あ、ちなみに、本の中で宮崎駿についてくどくど説明があるわけではありません。

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宮崎駿の作品でもっとも好きなのは「紅の豚」。イタリア語版、持っています。

3.岸田劉生の「麗子像」はコワくて正解なのだとわかりました!

昔、父方の祖母の家の壁に、新聞か雑誌から切り抜いた「麗子像」の切り抜きが飾ってあり、子ども心に「なんでこんな気味の悪い絵を飾ってるんだろう…」と思った記憶があります。その後も「麗子像」は、本などで何度も目にする機会がありましたが、重要文化財などという「立派な絵」を気持ち悪いなんて思ってはいけないのではないか、(それも、実際のモデルがいるわけだし)と思っていましたが、画家自らの「あえて」の不気味さなのだとわかりました。「ツメあとを残せ!」 なるほど。
しかし、おばあちゃんはなんで「麗子像」の絵を飾っていたんだろう…? 好きだったのかな…。まあ、好みはそれぞれ…。確かにパンチはある。ありすぎる。

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岸田劉生「麗子」重要文化財 東京国立博物館 画像は東京国立博物館サイトより拝借

 ほかにも、そもそも日本美術の素養がないので、狩野派の「粉本」など、細々した点で新たな発見がありました。狩野派は、今、わたしたちがイメージする芸術家の集団ではなく、西洋の美術工房や、アニメ制作会社に近いのかも。
リエーターの卵向けの自己啓発としてのストーリーもよくできていると思います(ラストの表現は賞味期限がありそうだけれど…)。1つ難点をあげるとすると、絵柄…。いわゆる「へたうま」系のマンガで、それはそれで味になっているのですが、ザクザクしたタッチが「勢いがある」ではなく、「雑」に見えるところが、時折つらい…。
しかし、そこを差し引いても、勉強になった、よい本でした。

 

注! 高橋由一の初期の油絵作品は「下手」、岸田劉生の「麗子像」は「怖っ」と表現されています。そういうのが不愉快な人は避けるべきでしょう。わたしなんかは「神秘的な微笑」(「麗子」東京国立博物館サイトより)などと表現されるよりは、その先の展開も含め、よほど理解しやすかったです。

 

 

 

【はじめに】野望・日本美術を楽しめるようになりたい!

現状:日本美術、楽しめていません…

いまひとつ日本美術のよさがつかみきれていません。いや正直にいえば、ほとんど理解できていません。好きか嫌いかと問われれば、「うーむむ」です。

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いえ、埴輪は単純にかわいいと思います。東京国立博物館所蔵「踊る人々」撮影:ワタシ

素質:美術鑑賞への感性=ありません…

そもそも世間で人気の西洋美術だって、「好き好き大好き」というわけではありません。美術が好きだった母に連れられて、子ども時代にはさまざまな展覧会にお供しましたが(させられましたが)、頭の中に浮かぶワードは、「たいくつ…」「はやく…」「まだ…?」の3つでした。おとなしい子どもだったので、「たいくつたいくつたいくつ」と、言語での明確な意思表示はしませんでしたが、母に無言の圧力はかけたかもしれません…。

美術鑑賞へのハードルを下げる:感動しなくてもよい

同じように展覧会に連れまわされた4つ上の姉は、絵を見るのが好きなおとなになりました。金曜日の仕事帰りに企画展に行ったりするし、海外の美術館にも足を運んでいます。わたしなぞは上野の企画展目当てにできた長蛇の列を(テレビの画面で)見ただけでグッタリする始末。炎天下の中、2時間待ちとか3時間待ちとか…、本当にみんなそんなに芸術好きなの…?? フェルメールの描く女の人たちって…よく見ると意地悪そうな顔をしているよね…??
あるとき、「いったい絵の何を見ればいいの?」と姉に聞いたところ(こんなことを聞いている時点で、もうダメ…)、「いちいち感動する必要はなく、」「1枚でも好きな絵があったら、それを眺めて『好きだなー』と思えばよく、」「『色がきれいだなー』だけでもいい」との助言をもらいました。なるほど別に感動しなくていいとなれば、心理的なハードルが下がるというものです。

向上心:ある。理解がしたい…!

しかし、ハードルを下げたところで、でもまだなんかもやもやしたものが残っています。「ふーん」で済んでしまう絵は、「ふーん」でいい、となると、わたしの場合、八割がた「ふーん」で済んでしまいます。世間の人があんなにも称賛しているものが、「ふーん」で終わってしまうのは、わたしに何かが欠けているのではないか、感性や知性に問題があるのではないか…。そしてそれを認めるのは簡単ですが、なんだかさみしいではないですか…。

中野京子氏の著作との出会い:そうだ、わたしは図鑑型ではなく物語型だった!

ここで出会ったのが、作家・中野京子氏の美術作品を読み解く著作です。
流行しているものは決して手に取らない天邪鬼な気質のせいで、「怖い絵」のブームからずいぶん遅れてのことでした(天邪鬼でいいことは1つもありません。でもしょうがない。そういう性格なんだもん)。母の家にあった「名画の謎 ギリシャ神話篇」(文春文庫)を読み、「うわ、なんておもしろいんだ」と思いました。

なるほど、わたしは、それぞれの絵が持つストーリー(題材にしろ、作家や、描かれた時代背景にしろ)を知らなすぎるんだと思いました。
姉のように絵を純粋にそのまま楽しめる人はそれでよいのでしょう(または、鑑賞する経験を積むことによって、絵画におけるさまざまな約束事やストーリーを自然に理解していくのかもしれません)。でも、わたしのように、作品の表面を目がただ上滑りするだけのような人間には、「情報」が、作品に向き合うときの大きな助けになります。背後にある物語を知ることで、絵が画面に広がる以上のことを語りだしてくれるからです。そして、絵そのものよりも、絵を通して語られるそういう物語にこそ、わたしは感情移入することができるのです。

日本美術:自分の国の文化くらい理解したい…

さて、ここで冒頭の日本美術に戻ります。
日本美術を楽しめるようになりたいのです。好きになれなくてもいい。理解したいのです。理解したうえで、「ふーん」といいたい。
西洋美術以上に、日本美術って親しみが持ちにくくないですか?? 水墨画なんて見ても、「うーん…」以上の感想が出てきません。戦国大名の愛したお茶碗も見ても「……」。お前の感性がそれまでだ、といわれればそれまでですが、感性が限りなくゼロに近くてもお近づきになりたい。
で、西洋美術と同じように、というかそれ以上に、わたしは日本美術について(ひいては日本の歴史について)何も知らないのだ、ということに気づきました。No知識、No理解! 当然のことかもしれません。
日本美術の作品にも何かストーリーを感じることができたら、そっけなく、退屈に見える作品も少しは歩み寄りを見せてくれるかもしれません。
というわけで、これから残すのは、日本美術が楽しめるようになったらいいな、という試みの記録です。
というか、少々学んだところで、仕入れた知識は、使い古した脳にとどまることなく高速でいずこへか飛び去ってしまうので、ここへ一部でも書き残しておけばよいかも、と思った次第です。